他の人にも当たり前にあるものだと思っていた”視覚優位の世界”
特に気にしていなかった”映像が次々と浮かぶ”ということ
わたしは40歳になってからASDと診断され、それと同時にWAIS-Ⅳ(ウェイス・フォー)という、知能検査を受けました。その時にはっきりしたのが
”視覚優位”であることでした
ただその時に、視覚優位と言われても、いったいわたし自身のどういうところが視覚優位なのかは、当時はよくわかりませんでした。
WAIS-Ⅳの結果をわたしの主治医の先生が眺めながら、わたしにこう聞ききました。
「読み上げられた数字は、どうやって覚えたの?。」
そう聞かれたので
「読み上げられた時からすぐに、頭の中にどんどん数字が絵になって浮かんでくるので、その数字を消してしまわないように注意しながら覚えました。」
そう答えると、先生は深く頷いていました。当時の先生の、なにか納得したような表情は、今となってはよく理解できます。それというのは
視覚優位である人の見え方は、それぞれにあると思いますが、わたし以外の視覚優位の方にもある見え方の一つとしては
どんな場面であったとも、全てが映像として次々と頭の中に浮かんで見える
というものだったからです。
日常のありとあらゆる場面で、映像はいつも一緒
聴覚優位と視覚優位
WAIS-Ⅳを受けた当時、わたしが”視覚優位”と言われても、どうしてピンとこなかったのかと言うと、わたしの視覚優位と言われている特性は、生まれつきのものなので
他の人にもわたしと同じ様に見えているものだと疑っていなかったからなのです
ところが、ASDについて学んでいくと、わたしと同じように視覚優位のASDもいれば、聴覚優位のASDもいることを知り、その時には衝撃を受けました。それに、実は多くの人が視覚と聴覚、この両方をバランスよく使っている、ということにも驚きました。
ここで、少し簡単ではありますが、”聴覚優位”と”視覚優位”についてをまとめてみます。
その前に、自分がどのタイプなのかを知る、簡単な方法があります。これをやっていただいてからだと、よりわかりやすいかもしれません。例えば
”象”
と聞いた時に、何を連想するかでわかります。その時にぱっと浮かんだものが
- 象の映像なら”視覚優位タイプ”
- 象の鳴き声や足音が頭の中で再生されたなら”聴覚優位タイプ”
- ちなみに今回は取り上げませんが、「ぞう」という文字を連想したなら、”言語優位タイプ”となります
聴覚優位
聴覚優位というのは、文字通り、耳から入ってくる情報の処理が得意です。
・口頭での指示の方が理解しやすかったり、記憶できたりする
・音楽を聴いていると、すぐに歌詞を覚えられる
・顔と名前が一致しないことが多い
視覚優位
視覚優位というのは、目から入ってくる情報を処理する能力に長けていて、見たもの・聞いたものをクリアに映像化できます。
・空間認知が得意で、何かを図で認知するのも得意
・人の顔を覚えるのが得意
・絵、写真、グラフ、動画など、映像で示された物を理解しやすい
・頭の中で、言語ではなく映像を使って思考する(映像思考)
・言葉で伝えるのが苦手
このように、視覚優位と聴覚優位では、ほぼ真逆と言っていいほどの違いがあることを知った時には、凄く世界が広がったような感覚にもなりましたし、わたしの中にあった”普通”や”あたりまえ”というものの中には、そうでない世界がすぐそばにある、ということも改めて感じました。
”視覚優位の世界”とは
会話・本を読む・音楽を聴く・文章を書く…全てにおいて
わたしの頭の中は常に”視覚ベース”です。それがどういう感覚なのかというと
会話・本を読む・音楽を聴く・文章を書く…これら日常にある全てのことに、映像が一緒にくっついていきます
会話をしている時
会話をしている時には、相手からの言葉から、そして自分が話すこと、その会話の流れと共に、その内容に伴った映像がすぐに浮かんできます。それが、会話が進むと同時に、まるで家がのように場面が変わっていくのです。
文章を書いている時
こうして文章を書いていても、前に述べた先生との会話の時には、文字を書いているスピードと同じく、その時の先生の顔や診察室、WAIS-Ⅳの結果の紙の内容、それらが次々と浮かび上がってきます。
本を読んでいる時
それは本を読んでいてもそうです。文字を追うと同時に、そこに書かれてある世界が同時進行で頭の中に映像化されていきます。
音楽を聴いている時
音楽を聴いている、または演奏している時はというと、わたしはピアノが好きなのですが、ピアノを弾いていても、曲を聴いていても、ショパンであればショパンの顔が、それが実は、わたしの小学校の音楽教室のピアノの上の方に、額に入って飾られていた、バッハやベートーベン、ショパンの肖像画が並んだ絵が浮かんだりするのです。そして他には、子どもたちの為に、宮崎アニメの曲を弾いていたら映画の映像が、常に頭の中に浮かび上がります。
このように
”視覚優位の世界”とは、とにかく映像でなにもかも再現されるものなのです
バランスが悪い為に困ること
言葉で伝えるのが苦手
視覚優位であるわたしは、聴覚とのバランスが極端に悪いのです。そのことから、視覚優位は、わたし自身を助けてくれることもあれば、そのことによって困らされる時もあります。それというのは
自分の思いや考えを言葉で伝えにくい
ということです。わたしは昔から、自分の思ってることを、わたしが話す言葉で上手く表現できなくて、そんな自分にいつも嫌気がさしていました。
具体的に視覚化されていない心の中のものは、どう伝えていいのかがわからないのです
ただ、そのことを救ってくれたのは、実は時代の流れでした。それが、目で見て確認しやすい
メールやLINEでした
話す言葉に詰まってしまっても、自分の想いを、目で見て確認しながらの文字だと、驚くほどスラスラと伝えることができたのです。もちろん手紙でもいいです。
このことがわかってからは、言葉で伝えにくい時は、文明の利器を使い”これなら出来る”という、わたしに合った手段でカバーするようになりました。
この事実はわたしだけに限らず、わたしと同じような視覚優位で、会話でのコミュニケーションが苦手であれば、文章で伝えるという手段を使えばいいと思っています。それも立派なコミュニケーションの一種だからです。
特性を無視しないことが大切
わたしの視覚優位は、どんなに努力しても、聴覚とのバランスが良くなるものではありません。実際、わたしはこのブログと連動させたYouTubeも配信していますが、すでに100本以上の動画を撮っていても、実は未だに毎回、ブログをそのまま読むのではなく、YouTube様に綿密な台本に書き直し、それをパソコン上で表示させながら撮影しています。アドリブもほとんどありません。
ただそれでも後になって、あの時の表現はこういう言い方の方がよかったな…と思うことはありますが、そういったことを、どれだけ回数や経験を重ねても、視覚優位のわたしには、例えば、題名と箇条書きされただけのものだけだと、見て下さっている方に、少しでも理解していただけるように、そして、わたし自身の想いや考えを、その場で出来るだけしっかりと伝える、ということは、やはり出来ないのです。
このことからも、視覚優位や聴覚優位のバランスがどちらかに偏っているASDは
- 自分の特性をよく知る
- 周囲に理解を求める
このことはいつも言っていますが、本当に大切だと思っています。自分にある特性を無視して、無理した状態で何かをしようとすることは
右利きなのに、左でお箸を持って食べなさい、と言われているようなものです
特性を無視しないことが大切なのは、その上で自分だけにあった方法を見つけられた方が、それは周りからみて大変そうだったとしても、ASD自身にとっては大変ではなくなることもあるからです。
最後に
わたしはよく、同じ視覚思考である”テンプル・グランディン”さんから学びを得ることが多いのですが、ASDに関してのことは、いつも自分と重なり過ぎて、なぜか感動や安堵感となり、涙が出る時もあります。
理解されにくい世界観を、そして理解されにくい自分を、理解してくれる人が一人でもいるというのは、救いになるのです
わたしは、ASDについての情報を発信していくことも、もちろん大切だと思っていますが、もし、ASD当事者やASD傾向のある方、またはお子さまがASDだったり、ASDと関係している人の中で、独りぼっちのような、そんな寂しい思いをしている人がいるとすれば、わたしはいつもこう伝えていきたいと思っています。
理解してます、わかってます、独りぼっちじゃないです
この想いも一緒に伝えていくことが、大切だと思っています。理解ある世界が少しでも広がれば、その場に踏みとどまることなく、前に進んで行けると思っています。わたしはそのお手伝いが少しでも出来たらと、いつも思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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