ASDにとって”見通し”は必要不可欠
”頑固すぎる”と言われていた子ども時代
ASDのわたしは、子どもの頃に、特に親から言われていたことがありました。それが
「この子は、頑固すぎる。」
というものです。それがどうしてかと言うと
- とにかく一度約束したことは、何があろうと絶対に守ってもらう
- 絶対にこうしないといけないと決めた事は、何が何でもその通りにしようとする
このように、とにかく周りから見ればそれは”頑固の固まり”のような子でした。その上
一度こうと決めた事は自分自身でもそうしよとするし、相手に対しても強要する
親からしたら大変な子だったと思います。
ASDの頑固さとはどれ程のものなのか
実際わたしの子どもの頃の話で言いますと、例えば母親が
「今やっていることが終わったら一緒にお買い物に行こうね。」
そう、わたしと約束をしたとします。ただ、その時間を母親が
「3時頃ね。」
そう言われると、わたしの中では
ぴったり3時
という認識になります。ちなみにこのことを、ASDの特性として見てみると
ASDには”~頃”や”~くらい”という表現は
そこに納得できる説明がない限り、理解できません。
ことについては成長と共に、定型発達の人たちより遅くではありますが、ゆっくりと、時間の曖昧さは、自分自身に落とし込めるようにはなっていきますが、子どもの頃は、まだまだそんなことを理解できずにいるのです。
約束の3時を過ぎたあたりから、母親に何度もわたしからの”確認作業”が始まります。
「まだ?3時5分だよ。」
このように分刻みで確認します。その頃、実際によくあったのが
「ごめん、ちょっと忙しくてお買い物いけなくなったから、明日一緒に行こう。」
自営業をしていた両親は、急に忙しくなったり、手が離せなくなったり、お客様が来てしまったりして、予定を変更しなければならない時が多々ありました。では、その時わたしがどうなってしまっていたかと言うと
「約束したのに。。。もいいよ、じゃあ明日は行ってよ。」
とは、もちろんなりません。わたしの場合は
「ダメ。絶対一緒に、今からお買い物行って。」
こうです。どう説明されても、この一点張りです。母が根負けするまで言い続けるのです。結果、どうしてもいけないとなった時には泣きじゃくり、癇癪を起し、わたしが泣き疲れてしまうか、母が無理をしてお買い物に連れて行ってくれるかの、どちらかでした。
このように何が何でも、一度こうと決めた事は、実行しないと嫌だし、相手にも実行させようとしていました。
”頑固さ”の裏にあるASDの本質とは
融通が利かないのはどうしてなのか
ASDは
物事に対して”融通を利かす”
ということが苦手です。では、どうして苦手なのでしょうか。実はASDにとって、ほんの小さな約束でも、その約束だけが大事で、メインのものではない、ということなのです。というのは
このようにASDにとって”見通し”とは一つの安心材料なのです。ですので、そもそも融通を利かすということが難しいのです。それが”頑固”でもなければ、ただの”わがまま”でも無いということなのです。
”見通し”が必要不可欠だということを心得ておく
ASDにとって”見通し”は必要不可欠なものです
そこを無くして、融通を利かせるようになるということは、ASDにとってはとても困難な事であり、ストレスを感じることになります。
ただ、一歩社会に出れば、そこはASDに必要な”見通し”の立たない、融通を利かさないといけない世界がほとんどですし、そういうお仕事も多いのが現実です。もちろん、あまり人と関わらない、マイペースで出来るような、ASD的には恵まれた環境の仕事に就ければ問題ないのですが、そうでなかった場合が大変なのです。
自分だけの行動パターンを作っていく
わたしは社会人になってからが、本当に大変でした。というのも、毎日が融通を利かさないといけない、毎日が見通しの立てられない職に就いてしまったからなのです。
当時はパティシエをしていたのですが、忙しい日、暇な日、ポジションが日によって変わる、イベントがある、メニュー変更…このように、見通しなど立てれないのが当たり前な毎日でした。ただ、その環境から学べたことはありました。それというが
自分だけの行動パターンを作っていく
忙しい日・暇な日・ポジション・イベント・メニュー変更、この一つづつに、それぞれの行動パターンを、自分に記憶させていくのです。記憶させていくことで、そこにある程度の”見通し”が立てられるのです。
ただもちろん、最初から上手くはいきません。ですので、わたしの場合で言うと、初めての職場や、初めて何かをしないといけない時には
(3ヶ月はひたすら辛いものだ…慣れるまで慣れるまで…)
3ヶ月というのは、わたしの中で決めていた期間ですが、毎回このように、とにかく3カ月、3カ月後にはある程度のパターンは見えてくる、と自分に言い聞かせていました。これも一つの”見通し”になるからです。
ASDにとっての”見通し”というのもは=安心感でもあります
ただ、子どもの頃はそれが自分ではうまくできません。ですので、親がある程度の見通しを伝えてあげればいいのです。予定が変更になった場合は
変更になった場合のその後の一日の過ごし方
これを伝えてあげればいい、ということなのです。そしてできれば、違うパターンになることもあるということ、そういったことも前もって伝えておくといいと思います。心の準備が出来ると、本人的には少し気持ちが楽になるからです。
こういった経験と練習を何度も繰り返していくこと、そしてASDの本質を知るということが、ASDにとって大切だと思っています。
最後に
ASDの特性をもって生まれたわたしが、自分自身を見ていて、思うことがあります。それというのは、他の人と比べて何かが出来ない、ということよりも
他の人と比べてゆっくり時間をかけていかないと出来るようにならないことが多い
ということです。それはわたしと同じASDの息子を見ていてもそう感じることはあります。
子どもの頃に周りのみんなが出来るようになっていくことが、ASDのわたしは、大人になってからやっと出来るようになったり、理解したりすることが沢山あるからです
今回の”見通し”に関してもそうですが、気づくまでには相当の年月を費やしたと思います。
でもそれでいいと思っています。時間がかかっても、他の人のペースは、その人のペースであり、ASDのわたしにはASDのわたしにしかないペースがあるというだけなのです。
ASDだけに言えることではないかもしれませんが、特にASDにとって心に留めておきたいのは、どんな時も”ゆっくり、焦らず”だと思っています。それがASDだけにあるマイペースを崩さない、大切な要素ではないかと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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