ASD 100%ASDは存在するのか

感覚過敏

ASDと診断される人とされない人の違いとは

100%ASDは存在するのか、という内容の前にここでは先ず基本的な知識として「ASDと診断される人とされない人の違い」についてお伝えしたいと思います。わたしがASDだと診断されたのは40歳になってからですが、決してその頃急にASDの特性が現れた、というわけではありません。ASDという言葉すら知らなかったわたしは、大人になってからやっと発達障害外来というものを知り、受診したのがたまたま40歳の頃だったというだけで、特性としては子供の頃からずっと継続してみられました。その特性としては

  • 臨機応変が苦手(物事や対人関係においても)
  • こだわりが強い
  • 感覚過敏がある
  • マイペースさを維持することを最優先にしてしまう
  • 興味関心に偏りがある

というもので、今振り返ってみてもASDの要素はとても色濃くあったと思います。既に保育園の頃から集団に馴染めず、小学生の頃には不登校になった時期もあったことを考えると、その頃に発達障害に理解のある先生に受診していれば、もっと早い段階で診断を受けていたのではないかと思っています。

ただ中には、子供の頃からわたしと同じようにASDの特性があったとしても、診断を受けない人達も存在します。そういった人達「自閉スペクトラム(Autism Spectrum)」と、ASD「自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder)」の違いはどこにあるのか、というと

社会生活上何らかの支障をきたしているのかいないのか

というところです。自閉スペクトラムの特性を持っていたとしても、社会の中では上手くいっている、日常生活に支障をきたす程の問題を抱えているわけではない、という人達はASDの「D」の部分、「Disoeder(障害)」が付くASDとはみなされない、という事なのです。そして実は、こういった「自閉スペクトラム(AS)」の人達はたくさんいる可能性があるとも言われています。

それではわたしの場合、どうしてASDだと診断されたのかというと、発達障害外来を受診した当時はもう既に二次障害を発症していて、発達障害の特性で困っているというよりも二次的な問題を大きく抱え、どちらかというとそちらの方が目立ってあった状態だったのですが、その背景に色濃く存在していたのがASDの特性だと、その部分を発見してもらえたからこそASDだと診断を受けました。

その当時のわたしの状態がどのようなものだったかをもう少し詳しく言うと、何度も何度も死にたいと思う思考に襲われそのことが頭から離れない、それでも頼れる身内もいない為に、とにかくその事を考えないようにするかのように仕事をいくつも掛け持ちしてはワーカホリックになり現実逃避。本当の自分と偽りの自分とのギャップに苦しめられ、とてもまともな日常生活を送れる状態ではありませんでした。思い返せばそういった酷い状態は20年以上あったと思います。このように、わたし自身を苦しめた大きな原因の一つには

ASDについての知識が全くなかった

だからこそ過剰適応になり、ただ周りに合わせることに必死になっていた

というものがあったからだと思っています。思い出すこと自体が辛いほど当時はギリギリ生きていた、という状態だったわたしを支え続けてくれたパートナーと、ASDだと診断し、二次的な問題をASDの特性から考え取り組んでくれた主治医の先生は、わたしの命の恩人だと言っても過言ではないと思っています。

このようにASD(ADHDも同じく)発達障害だと診断を受ける人の多くは、自分の力ではどうにもならない程の問題を抱え、藁にもすがる思いで受診する人たちだったりします。それは子供であっても同じです。こだわりが強すぎて周囲に馴染むことが難しい、その時に癇癪になっては感情のコントロールが出来なくて苦しい、感覚過敏が酷い、または既に過剰適応の状態にあるなど、日常的に何かしら困り事を抱えていれば診断を受ける年齢は関係ないのです。

ただ、診断の内容としてはASDのみ、ADHDのみの診断を受ける人もいれば、ASDとADHDのミックスだと診断される人も存在します。その場合、困り事の内容としては不注意や衝動性から日常的にミスが多い、忘れ物が多いなどがある事に加え、よくよく探っていくとこだわりが強い部分があったりと、どちらの特性も混ざり合っていてミックスだと診断されたりします。

ASDとADHDの関係性

わたしには息子が二人おりますが、息子たちも同じく長男はASD、次男はASDとADHDのミックスという診断を受けています。二人の息子も小さい頃から発達障害の特性が目立ってあり、日常的に様々な困り事があって診断を受けました。

次男の診断を見てみてもそうなのですが、実は先ほどにもお伝えしたように「ASDとADHDが重なり合う」というものも存在します。この二者に加えASD(自閉スペクトラム症)、ADHD、SLD(限局性学習症)の三者が重なり合うことも非常に多いと言われています。とはいえ、ASDとADHD両者の併記が可能になったのは2013年からで、それ以前は併記をしないという約束になっていました。わたしは次男がASDとADHDのミックスだという診断に対してはとても納得してるので、逆に併記されなかった頃というのは対応がどちらかに偏ってしまって、本当に必要な支援がされにくかったのではないかと思っています。

だとしても、その「割合」というものは人それぞれです。次男の場合で言うと、2〜3歳の頃はADHDの多動症の部分がとても目立っていて、ASDの要素はほとんど見られませんでした。厳密には

見られなかった、というよりも隠されていた

というものだと思っています。ですので医師によっては診断がADHDのみになっていた可能性もあると思っています。というのもASDの特性がわかりやすく現れたのはもう少し年齢が上がり、多動症の部分は無くなりはしないものの随分と落ち着いてきた頃だったからです。それでも、割合的にはやはりADHDが強く、ADHD70%・ASD30%くらいではないかと感じています。ですので、ADHDの特性を見ることを中心としながら、ASDの部分も見逃さないように対応しています。この様にASDとADH Dは必ずしも全く別のところに位置しているのではなく、重なり合い、共存することもあると言えます。

わたしと長男はどうしてASDのみの診断を受けたのか

では長男、そしてわたしに関してはどうなのか。診断はどちらともASDのみの診断です。ただ、ここからはあくまでも私見になりますが、わたしに関しても、そして長男を見ていてもふとした瞬間にADHDの特性が見え隠れする時があるのです。

例えばわたしに関して言うと、ブログを書く時などは衝動が強く出る場合があります。内容が思いつくと居ても立っても居られなくなり、書ける時は衝動的に取り掛かり書き始めてしまう、書けない状況ではその衝動を抑えるのが難しくそわそわして落ち着かない、というところです。だとしても、ADHD的な衝動の部分が全面に出ているとは言い切れないのです。ブログを書くという事に強くこだわっている、というASD的要素も大きく存在しているのも確かなのです。どちらかというと、衝動がないわけではないけれど、こだわりの方が勝っているとは言えるかも知れません。

長男に関してもそうです。長男の場合はADHDの中でも次男のように多動症の方ではなく、注意欠陥の要素は持っていると思います。だとしても、わたしと同じくADHD的な要素はほんの少し、それよりも目立ってあるのはASDの特性の方なのです。

ただもちろん、診断を疑っているというものでは決してありません。こういった事実から、ADHDの特性があったとしてもそれはほんの少しで日常的に強く現れるものではない。どちらかというとASDの特性の方が強くあるために、とにかくその部分に関しての対策を考え、取り組んでいった方が改善が見られる可能性が高くなる、というところからASDのみの診断になったのではないかと考えます。ただ、ここで一つ言えることがあるとすれば、ASDの特性が目立ってあって診断もASDのみだとしても、もしかしたらこの部分はADHDの特性が関係しているのではないか…?という

どちらからのアプローチで対処すればいいのかという柔軟な発想を持っておく

というものもあっていいとは思っています。

100%ASDは存在するのか

100%ASDは存在するのか、という答えに関してわたしが思うには、存在はしないのではないかと思っています。ただこれまでお伝えしてきたように、発達障害だと診断を受けたとしてもASD・ADHD・SLDをどの程度の割合で持っているのかは一人一人違ってきます。わたしがわたし自身を見ても、100%ASDではないかも知れませんが、限りなく近いところにいるとは思っています。ADHDの要素を少なからず持っていたとしても、ASDの特性が強すぎてはっきりと分からない程のものになっているからこそ、ASDのみの診断なんだとわたし自身は納得しています。ただ、この様に

両方の特性を持っていたとしても目立たない方の特性が隠されてしまう

という部分に関しては、注意が必要だと思っています。例えば次男の様にADHDの特性が強くあった場合、ASD的な部分を見落とされがちになってしまうこともあると思います。そうすると、ADHDとASDは対応の仕方が全く違ってくる為に、例えばASDの特性からくるこだわりの部分をADHDの特性からくる衝動だと認識してしまい、そのように対応してしまっては、こだわりを我慢させるという事になってしまいます。ASDのこだわりに関しては、我慢をさせてしまうのが一番と言っていいほどストレスになります。そのような間違った対応をずっと何年もの間続けてしまっては、いつかメンタルヘルスを害するということにもなりかねません。だからこそ、その都度しっかりと考え対応を見極めていく、という作業はとても大切だと思っています。

ただ、そうとわかっていたとしても見極めに関しては、難しいところはあると思います。だからこそ普段から発達障害の特性について俯瞰的に見て意見をくれる人、相談できる相手を持っておくということも大切です。わたしの場合はパートナーであり、主治医の先生です。

一人一人に合わせた対応と支援を間違えないようにすることは、当事者のその後の生き方に直結してくるほど重要なことだと思っています。ASD・ADHDのどちらかの診断を受けていたとしても、頼れる人たちと連携をとりながら自分について考える時間を持ち、今自分に起こっている問題はASDの特性からなのか、ADHDの特性からなのかを見ながら試行錯誤を重ねることは、必要なことだと思っています。そうして自分と向き合う時間が結果的に、本来の自分として生きることを楽しむ事にも繋がってくるかもしれません。その為のお手伝いのような内容でありたいと、わたしと同じ発達障害の人や関係している人たちにとって少しでも生き辛さを減らしていただけることを願いながら、これからも発信していきたいと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。

*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。

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