ASDは感情的に話されるどうして理解できなくなってしまうのか
不登校になった小学生の頃に苦痛だったこと
わたしは子どもの頃から
- 大人の怒鳴る声
- 怒りで威圧する大人
こういった人は本当に苦手でした。もちろん、ASDではなくともこのような人は苦手だと感じる子どもがほとんどだと思いますが、それでもある程度、なんとか受け流せたり、自分の好きな時間を持つことや友達と遊んだりすることで、嫌だと感じたことを消化できたりすることもあると思います。
ただ、わたしの場合は、少しでもそういった大人と関わってしまうと
そのことがずっと記憶に残り、何をしていても消化されることはないのです
その結果、強いストレスと不安を自ら抱え込んでは精神的にも身体的にも参ってしまうのです。その状態というものを実感し、耐えきれなくなったのは小学4年生の頃でした。
わたしは小学生の頃、学校自体は好きではありませんでしたが、成績は良い方でした。特に塾や家庭学習をしていなくても、学校の授業やテストは比較的スラスラと理解できていました。ただ、そのことが4年生になってから急に、困難だと感じ始めたのです。
テストの点数は下がり、間違ったところを先生に何度説明されても理解できない
このことが毎日のように続きました。実はその背景には
当時の先生がとても感情的になりやすいヒステリックな人で、その先生から怒られながら説明されること、他の子を怒っている姿、その両方に大きな不安を抱え、とてつもなく苦痛だったからなのです
感情的に話されるとASDはどうなってしまうのか
実はわたしは子どもの頃から、場面緘黙がありました。ただそのことがある程度なくなってきたと思っていた、大人になってからも、感情的な人を前にした時に
場面緘黙になったことがありました。
思考は停止し、相手の話す声のボリュームだけが体に伝わり、話している内容なんて何もわからなくなり、そして言葉が全く出なくなるのです。
それほど、感情的に話す人からのストレスはとてつもなく大きいのです。今思えば、こういったことが子どもの頃ならもっと、ダメージは大きかったはずです。
4年生の頃、わたしの成績が急に落ちたことには理由があるのです。それというのは、集中するべきところが
- 感情的に怒っている先生から逃げたい…
- 早く帰りたい…
こういった不安要素にだけに集中してしまい、授業の内容を理解する、テストの問題を解く、という勉強に使う集中力は完全に限界を超えてしまっていたからなのです。
ただ、こういった状態になってしまうというASDに理解がなければ、相手からしたら、感情的になるほど必死で伝えているのに、どうして理解が出来ないんだと、さらに言葉に言葉を重ねて、怒りも増した状態で話そうとします。実はこういった相手の状態と並行するように
ASDは不安が大きくなり、視覚的思考とはかけ離れた言語理解を求められることに追いつかなくなり、理解しよとするどころか、パニック、あるいは思考停止状態になっていくのです
結果的には、お互いに疲れ切り、理解もないままおそらくまた、同じようなパターンを繰り返してしまいます。
ASDにとって”話を理解しやすい人”とは
当時を振り返ると、本当のところはわたしが思っていたよりも、毎日のように先生から怒られていた、ということはなかったのかもしれません。そうだったとしても、どうして毎日のように苦しかったのかというと
ASDのわたしにとって辛い記憶は消されることなく鮮明に残り続けます。尚且つそのことがフラッシュバックとなって、今、この時に同じことが起こっているかのような感覚に何度も襲われていたからだと思います
そんな毎日を過ごしていたわたしは、当時の先生を完全に拒否するようになっていました。その状態でいながら助けも求めず、一人で抱え込んでしまった結果、4年生の後半はほとんど学校に行けなくなりました。毎日のように頭痛、腹痛に襲われ、疲れ切った状態で5年生になりました。
酷い状態だったにも関わらず、5年生になってからはほとんど休まずに、その一年は特になんのストレスも抱えることなく過ごすことが出来たのです。その理由が、今ははっきりわかります。それは
5年生の時の先生が、とても穏やかで優しく、感情的に怒るということが全くなかった先生だったのです
記憶をたどっても、先生が大きめの声で生徒に怒ったのは、たった一度きりでした。しかもその理由は理不尽なものではなく、しっかりと納得のいくものでした。
そしてわたしが思っていることを、いつもゆっくりと聞いてくれる先生でした。そういう状況での話し合いは、スルスルと理解もできるのです。
感情的に怒りながら話しをする人と、そうでない穏やかな人に対しての、話の理解の度合いは全然違います。それほどASDにとって、感情的に話されると、完全に拒否してしまいたくなるほど、強いストレスを抱え込み、ダメージが大きいということなのです。
ASDに伝えたい大切なことがある時は
ASDにとって、感情的に話される時の精神的なダメージというものは、定型発達の方が想像する以上のものだと思っています。このことからも、ASDに伝えたい大切なことがある時には
そしてもう一つ、感情的にさえならなければ
ASDに対して伝える時に、多少きついと感じるようなストレートな表現でも大丈夫です
逆にその方が伝わったりします。
ASDは少数派ではありますが、理解のない人、優しくない人ではありません。ASDに対してそう感じる時は、コミュニケーションの仕方を少し変えるだけで改善されることはあると思っています。
最後に
わたしがどうして今回の内容を取り上げようかと思ったのは、わたし自身が息子に対して、同じようなことをしてしまっていたからなのです。
もちろん疲れていたり、不安定な時は、親であってもイライラしたりする時もあります。それでも、感情的に話しているようでは、全く何も進まないことが、わたし自身に刺さったからなのです。
そのことへの大きな反省と、わたしが子どもの頃に受けてきた連鎖を断ち切りたいと思ったからなのです
そしてもう一つは、夫婦間で、またはお付き合いしている方がASDで悩んでいる方にとって、コミュニケーションをとる時の何かしらのヒントとしてお伝えできればと思ったからです
どのような関係性においても、いつも正解がどこにあるのかはわかりません。正解なんてないのが、真実なのかもしれません。ただ
その時その時で生きていることに必死になり過ぎているからこそ、簡単で単純なことが見えなくなっているだけなのかもしれないとも思っています
親子間でも夫婦間でも、生徒と先生の関係でも、相手と、そして自分自身の理解が深まれば深まるほど、無駄なストレスを抱えることは減っていくと思っています。
そうだとわかっていても、まだまだなわたしですが、まだまだなりにでも出来ることを、お伝えできることをこれからも続けていきたいと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
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