ASDは”人からの説明は聞かない”けれど”自分からの説明は止められない”そのメカニズムとは
ASDが”人からの説明は聞かない”のは
ASDのわたしは、説明をされている状況になれば、大体の場面においてほとんど聞いていません。相槌は打つことはあっても、内容は右から左、その時には既に、無意識的に違うことを考えていたりします。それでも例外があるとすれば
わたし自身がその説明の内容に対して、興味を持った時だけです
ただ、その確率はこれまでの経験からも少なく、好意で説明してくれている相手に対しても、上の空で聞いていることがほとんどでした。このことからも、わたしがよく相手から言われていたのは
「聞いてる?。」
という一言でした。実際、「聞いてるよ。」と普通を装って答えていたものの、聞いていないことの方が多くありました。この時に関係しているASDの特性として考えられるのは
興味・関心に偏りがあり過ぎる
というとこだと思っています。
ASDが”自分からの説明は止められない”のは
相手の説明はほとんどの場面において聞いていないことに対して
ASDが相手に対して説明しだすとそのことが止められない、延々と話し続けてしまう
ということがあります。その時には、相手が興味を持っていようが持っていない状況であろうが、関係ないのです。それがどうしてかというと
説明しているのは、相手の為ではなく、自分自身の興味のあるものに対しての物事を優先し、その事を話したいだけ、になるからなのです
その上、ASDが説明をする時というのは、自分自身が興味のあることしか説明することをしなかったりもします。ですので、相手の説明を聞かない時と同様、ASDが説明する時というのは
その内容対して、自分自身に強い興味・関心があり過ぎるからこそ止められない
という現象が起きてしまうのです。
説明の場面において”決定的に関係している特性”とは
わたしが今回の”説明”という場面に関して、ASDの特性を実感したのは、東京オリンピックを息子たちと見ていた時でした。その時はテレビで野球の試合が放映されていました。実はわたしの父親が野球好きだったこともあり、子どもの頃、一緒にテレビで野球観戦をしていたことから、野球のルールは知り尽くしていました。
息子たちとテレビでオリンピックの野球の試合を見ている時に、息子から野球のルールを質問されました。そこで始まってしまったのが
わたしの実況さながらの野球ルールの説明でした
白熱するわたしの説明に対して、同じくASDの息子の反応といえば
「へ~。ふ~ん。」
というもので、明らかに興味を持っていないのは目に見えてわかっていました。そのことが分かっていても、わたしの説明は続きました。相手が聞いていないとわかっているにも関わらず、その事を止められずに説明し続けてしまうASDにある”決定的に関係している特性”というのは
説明している相手が聞いていなくてもあまり気にならない、というよりも気にしません。
説明している相手(人)よりも野球(物)が優先対象になっているからなのです
ASDではないその他大勢の方との感覚の違い
ASDとは違い、人との関係性を優先している人たちは説明している場面で
- 相手が聞いているかどうか
- 相手が説明していることに対して興味を持っているかどうか
このことを無意識に、または意識的にも確認しながら、説明を続けるか、ある程度のところで止めることをするかの判断を取ったりします。その部分が、ASDとは感覚が違うのです。ただ、違うと言ってもASDからの説明というのは
あり得ないほど深堀りされていて、説明を求めた相手が思ってた以上の内容だったりすることがほとんどです
ですので難しいのは、その説明を求めた相手にとっては、 ちょっと聞いてて大変なマシンガントークで終わってしまうこともあれば、200%満足のいく答えの時もあるということなのです。
”個人主義”で”人より物”のASD
ASDはとにかく”個人主義”で”人より物”を優先してしまいます。それは日常のあらゆる場面において見られます。そうだとしても、いろんな人たちと関係性を持ちたくないということではないのです。ストレスの無い関係性を築き、その中で人の役に立てる事をしたい、人がよろこんでくれることが好き、という思いを持っている人もいます。そのことが
多数派の人たちとは違った解釈や理解の中で成り立っている時があるというだけなのです
ASDが興味のあることを説明しだした時に、人より物を優先すると言っても、相手の反応が良ければもちろん、うれしいと感じます。もっと役に立てる情報は無いかと一生懸命、探ったりもします。
逆に、相手に興味がないと気づけないまま、説明を止められないでいると、後になってマシンガントークだと言われて、傷つくこともあるのです。
いろんな場面で極端な状況に感情を乱されてしまうことがあるのです
ASDは説明の場面だけではなく、その他あらゆる日常的な場面において、理解されなくて生き辛さを感じている方が多いと思っています。だからこそASDが生きやすくなる社会、その特性を活かせられる社会を構築していく為には
ASDと関係している方、そしてASD当事者やASD傾向のある方が、特性を自覚し、その事を受け入れ、環境を整えていく、ということが大切だと思っています
時間がかかったとしても、そういった環境を築くことが出来ればと思っています。
最後に
わたしは今回の内容にもある”説明をし続けてしまう”という場面で、改めて気づかされたことがありました。それというのは
相手が話を聞いてなくても、全くストレスにならない
というところです。おそらくですが、大多数の方は自分が一生懸命、説明している時に話を聞いていないような態度を取られたら、少なからず不愉快になったり、もう話したくないと思われることもあると思います。実際わたしは、相手から説明をされてもそれほど深くもなく、更に興味のないことには、息子と同様、全く聞いていないような態度として現れてしまいます。既にお伝えしましたが、そのことで
「ちょっと、聞いてる?。」
と言われたことは何度もあります。相手からしたら、聞いていないわたしの態度に不愉快さを感じられたのだと思います。ただ、わたしはわたし自身が相手に説明をする時に「ちょっと、聞いてる?。」と言ったのは、記憶を辿っても無いのです。このことからも
ASDとASDではない多数派の方たちとの感覚の違い・ストレスを感じるポイントの違い
このことは多くの場面であると感じました。そしてその違いに理解がなければ、お互いにとって理解し合えない新たなストレスとして発生してしまうこともあるのです。
その一つ一つを埋めていくことは、とてつもなく時間のかかることかもしれませんが、その地道な作業をすることが重要だと感じるからこそ、ASDで生まれたわたしが出来る発信は続けていこうと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。
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