ASDは”悪意はない”が”傷つけること”がわかりにくい
相手が傷つくということが想像しにくい
あなたがもし、ASDの子どもたちや、そして大人のASDと関わったことのある方でしたら、思い返してみてください。ASDが
相手に対して失礼だととれる発言を平気で言ってしまう
こういう場面に遭遇したことはないでしょうか?もしくはASD当事者やASD傾向のある方でしたら
普通の会話をしたつもりなのに相手を傷つけてしまった…
こういう経験はないでしょうか?それというのは
ASDは相手が傷つく発言というものがわかりにくい
というところがあるのです。
- どういった発言が相手を傷つけてしまうのか
- この言葉を受け取った相手がどういう気持ちになるのだろうか
ここがわかりにくのです。
”悪意はない”とはどういうことなのか
受け取った相手の気持ちが想像できにくい
ASDが何気なく言った言葉で、相手が不愉快になったり、傷ついてしまうことは確かにあります。ただそこには大前提として
ASDには決して悪意があるわけではないのです
・わざと嫌味を言ってやろう
・からかってやろう
こういうような気持ちをもって発言することは、ほとんどありません。
ここで、もう少しわかりやすく、わたしのASDの息子が実際どのような発言をしてしまうのか、ということを例に挙げてみたいと思います。
平気な顔で、または笑ながら失礼な発言を大声で言う
その日は、息子が通う園の行事があり、大き目の会場を貸し切りそこに先生方、そして父兄の方々が大勢あつまっていました。列に並び、席を案内されるというシステムでしたので、主人が並んでくれて、走り回る息子をわたしが見ているという状況でした。その息子の前を、少し体が大きめのお父様が通り過ぎたその時
「ママ!あの人ゴリラだっ!ゴリラみたいだよほら見てっ!。」
そう指さしては、あたりまえの報告のようにわたしに伝えてきました。とっさに息子に静かにするように促し、相手の方に頭を下げました。一瞬で冷や汗が出たのを思い出します。ただ、この息子の実話に関しては、年齢が低ければそういう事もあるのでは、と思われたかたもいるともうのですが、実際そうではないのです。
例えばASDの小学生になる息子がデイサービスに行った日のことです。デイサービスではおやつが出るのですが、そのおやつは好きな時間に食べていいということになっています。ただ、ASDの息子の場合
おやつは3時
そういうマイルールで動いていました。ですので、同じデイサービスに通っている子が、帰りの送迎の車の中でおやつを食べているのを見て
「なんで今食べてんの?変なの(笑)。」
この一言で、相手の子を泣かせてしまったということもありました。その他にもいろいろと調べていく中で、年齢が高くなっても息子と同じ様に、ある女の子の場合でしたら、知らない男性に面と向かって
「髪の毛がないね。」
といってしまったり、また別の男の子の場合でも、お相撲さんが好きな理由から、太っていることに親しみを込めて、同級生の女の子に
「○○さんは太っているね。」
と言って嫌われてしまった、という事実があるということがわかりました。そしてASDに共通してあるのが
本当のことを言っただけなのに、どうして嫌われるんだろう…
この部分の理解が出来ないということなのです。
相手がどう思うかが直感的に理解できない
何をどう気を付けたらいいのかがわからない
ASDの子どもたちもそうですが、ASDの大人であっても、相手の方にすごくプライベートなことをあっさりと質問してしまって困らせてしまったり、女性に対して年齢や体重を、あたりまえに聞いてしまうということもあります。このことからもASDは、考えていない発言という訳ではなく
- この言葉で相手が不愉快になる
- または傷つくということが直感的に理解できない
ということなのです。ということはASDに対して
「もう少し考えて発言しなさい。」
「相手の気持ちを考えなさい。」
と伝えたとしても、ASDは実践できません。
相手の考えや感じ方が、自分のどの発言で傷つけたり、不愉快にさせてしまうかがわからないからなのです。
具体的にひとつづつ
こういったことからも、ASDの子どもたちに対しては
具体的な策をひとつづつ教える
ということが必要になってきます。例えばわたしの息子の場合だとしたら
「”変なの”っていう言葉は、相手にしたら傷つけてしまう言葉なんだよ。それにその言葉が原因で、あなたのことを嫌いになることもあるかもしれないよ。だから言わないようにしようね。」
こうしてひとつづつ
- 相手の気持ちを伝え
- どうすればいいのかを具体的に伝えていく
ということが大切なのです。というのも、ASDは大人であっても子どもであっても、自分のことを誇示したり、相手を見下してそういう態度や発言をしているわけではないからこそ、わかりにくいというところがあるからなのです。
最後に
ASDにはいろんな学びを、痛い思いをして初めて身にしみてわかる、ということが多くあります。多くあるというよりも、その繰り返しといった方がいいかもしれません。その度に何度も何度も
あぁ…そういうことだったのか…
そうやって反省と共に気づきを得ていくのですが、あまりにも多すぎると、自分を責めすぎてしまうということも出てきます。ですのでここで大切だと思うことは
それはASDである自分の一面
ということを認識することだと思っています。それと同時に、ASDと関係している方にも
それはASDの一面であり、ASDの全てではない
このことに理解をもっていただけたらと思っています。たとえ理解できなくても、受け入れて頂けたらと思います。
ASDにとって、失敗してしまった自分、相手の気持ちがわかりにくいが故に発言してしまったことで、相手を傷つけてしまった自分に対して、しまったな…と思う感情はあっていいものだと思いますが、そういう自分は、自分自身の全てではなく一面だと認識しておく、ここが大切だと思っています。
それよりも、あぁしまったな…と気づけた自分を褒めてあげることをしてあげたらいいと思っています。
ASDにとってのあらゆる場面での気づき
こちらの方が大事だと思うからです。ASDであっても、そうでなくても、自分自身の成長というのは死ぬまで続くものだと思っています。だとしたら、失敗だったな…と気づく回数というのは、多ければ多いほどいいのではないかとも思えます。
ASDであることの生き辛さというのは、確かにあります。自分自身の障害のことだけではなく、差別的な見方、そして偏見、そういうものも全て含んだ中で、まだまだあると感じます。だからこそ、ASDにあるほんの一面で損をするような生き方にならないように、ASD自身も成長し、わたしはASDですと、自信をもって生きていける社会を作っていければと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/というFree素材を使用しています。
コメント
私も悪意なく傷つける、よくやらかします。対策は無口な人になるくらいしかおもいつきません。なにかよい対策がありましたら、ぜひ教えてください。