ASDが感じてしまう“本気”から生まれる「罪悪感」とは
ASDのわたしは何かに興味を持つと、とにかく寝食を忘れてしまうくらい、それこそ起きている間はずっとその事を考えてしまうくらい、異常に熱中してしまう状態になります。その事をここで“異常”と表現してしまうのはどうしてなのかというと
熱中している事に時間が使えなかったり、熱中しているその時間をほんの少しでも邪魔されたりすると、かなりイライラしたり不安定になったりする事で、日常生活に支障をきたすまでの状態になってしまうからなのです
この様な状態に陥るのは、ASDの特性が関係しているからだと思っています。その関係している特性とは
- 興味関心への強い偏り
- 過集中
- こだわりが強い
- 完璧主義
というものだと感じています。
というものだと感じています。それは周囲から見れば異常に熱中しているそのASDの様子から、興味を持った事に関しては一生続けられるくらいのものだと感じるものは多いと思います。もちろん中には、それこそ生涯続けられる仕事に繋がるものだったり、仕事でなくともずっと飽きる事なく続けられるものもあります。ただ、実はそうでないものも多く存在するのがASDなのです。
これまでにわたしの家族は当然のように、わたしが寝食を忘れる程、何かに対して興味を持ったものへの熱中ぶりに対して
- 本気で取り組もうとしているに違いないからこそ応援してあげたい
- 心から好きそうだからずっと続けさせてあげたい
そう感じた事は多かったと思います。実際にその事にお金も時間もかけていたりも、もちろんありました。というのもそのASDの熱中の仕方、本気っぷりがどう見ても定型発達の人達からすれば、稀に見る様な状態だからなのです。ただ、その多数派の基準で考えASDと付き合っていると、ASDがそのことをやめてしまった時に裏切られたような、または最悪、不信感を抱いてしまう事もあると思います。その様な感情がどうして生まれてしまうのか、という事について見ていきたいと思います。そもそもASDには
ちょっと好きかも…?
ちょっとだけやってみようかな…?
という何となくゆっくりとお試しで…と言う様な段階はあまりありません。
好きだと感じたのであれば、興味を持ったのであれば、その瞬間からどんなことに対しても異常に本気で取り組むことしかしないのがASDなのです
ではどうして、応援していたのに、喜んで協力していたのに後々裏切られたような、または不信感を抱いてしまうような結果として終わってしまう事があるのかというと、その「熱の落差」があるからだと思っています。
ASDというのは興味を持ったものに関して異常な程に熱しやすくても、満足したり飽きたりすると、あっさりとやめてしまう事も多くあります。というよりも、あっさりとやめてしまえるからこそ周りから見れば、まるで騙されたような感覚になってしまうこともあるのです。
この事実を知らないと結果的に
「え…?あんなに本気でやりたいって言ってたのに?。」
「もうやめたって…どうして?。」
そんな言葉をどうしたって、ASDにかけたくなることもあると思います。事実わたしも、そう言われ続けてきました。その度に相手の落胆した顔を見ては同時に、いつも何か悪いことをしたような気持ちにもなっていました。それでも心の中では
本気でやりたいって思ってたんだよ…
その為に一生懸命頑張ったけど…
何か違っただけなの…
そういう思いを何度も繰り返してはそれが「罪悪感」として変わってしまうこともありました。この様な状態になると、どういうことがASDに待ち受けているのかというと
- 「本当はやりたいけれど我慢したほうがいい…」そう思い自分自身にストップをかけてしまう
- 自分がやりたいと思うことよりも、自分以外の他人が「やったほうがいい」と言う方を優先してしまう
そうやって生きていこうとしてしまうのです。ただその生き方は
ASDである自分本来の生き方ではないところのものなのです
本来の自分を見失うと常にストレスを抱え、周囲に合わせ、いつの間にか自分のやりたいことが何なのかも分からなくなっていってしまうのです。元々ASDには相手の言った言葉を字義通りに真っ直ぐに受け取ってしまう、というところもあるからこそ「もうやめたの?本気じゃなかったのね。」なんて言われてしまうと、何をやっても続けられないダメな自分なんだと思い込んでしまうこともあると思います。だからこそ、本当に罪悪感を持つ必要があるのかどうか、そしてその時にASDにかける言葉についても気をつけたいところなのです。
ASDが熱中している時に気をつけたいこと、そして簡単な対策について
ASDは興味を持ったものに対しては、異常に熱中します。ただ、満足したり飽きたり、やっぱり自分には合わなかった、なんていう理由からあっさりとやめてしまうものも実は沢山あります。このような行動パターンはただ単に、“熱しやすく冷めやすい人”“ただの飽きっぽい人”、そう見えるかもしれません。ただ、そう見えたとしても実は、ASDにとってはそうではありません。ASDにとっての“熱しやすく冷めやすい”、このことを繰り返すという中には
世間的に価値のある事だと見られるような事を、または経験上これは良いに違いないという意識からASDに伝えたところで、やらせたところで、それはASDを苦しめてしまう為のただのエゴに過ぎません。それよりも
ASDが熱中している事に対して、それでもいつか飽きるだろう、やめてしまうだろうという前提の中で、一緒に楽しむ事をしたり、見守る事の方が大切だと思っています
ただ、わたしの経験上、一つだけ気を付けたいところがあるとすれば
熱中しているものに関して高額な何かが必要な時、その時はすぐに買い与えずに、またはASD自身であれば買うのを少し待つことをして、取り敢えず安価なもので対応できるのであればそれで様子を見る
というものです。というのも、ASDが熱中することは大抵どんどん移り変わっていくからです。その度に必要だと思われる本気の道具を揃えていては、経済的にも大変になってしまいます。その上、最初は熱中しているからこそ応援してあげたい、という前向きな気持ちであっても、高額な物を購入してしまう事を繰り返す事で、ASDが熱中する事を冷めた目で見てしまう、または止めさせようとする、というような後ろ向きな感情が生まれてしまうこともあるでしょう。ですのでそうならない為にも、簡単な対策としては
- 様子を見ながらまずは安価なアイテムで、それが数ヶ月続くものであればまず第一段階として、ASD本人が望むものを一つだけ揃える
- 熱中ぶりに付き合いながらも、必要なアイテムはゆっくりと
というものです。“段階と自覚”ここを持つ事は必要だと思っています。それがどうして大切なのかというと
結果的に与える側が「損をした」という様なマイナスな感情を抱いてしまうだけではなく、ASD側もその気持ちを読み取り、本気で取り組むことをやめてしまう、という様なお互いにとって悪循環に陥ってしまう事を避けたいからなのです
熱中の仕方は異常、ただ飽きるのも一瞬だけど…
わたしは大人になってからも興味を持ち、熱中する事に対して最初はものすごく集中します。ただ、そのことが続かないことの方が多く、その度に続けられない飽きっぽい性格にうんざりしては、自信もなくしていました。
それは、ASDについてまだよく知らなかった頃、同じASDの息子に対しても感じてしまっていました。今思えば、息子に申し訳なかったと思うのと同時に、自分自身も無知と間違った意識の中で、無駄に苦しんでいたと思います。ただ
熱中の仕方は異常で飽きるのも一瞬だけど、それをどれだけでも繰り返してもいい
そう認識してからは、とても気持ちが楽になりました。それはわたし自身にだけではなく、息子に対してもです。というのもASDの息子もわたしととてもよく似ていて、熱中してもすぐ飽きてやめてしまう、というところがあって、以前はその度にモヤモヤしたりイライラしたりしていました。そういうわたしの負の感情を息子も受け取ってしまっていたと思います。その上、「わたしに似たのかな…」そうやってまた、自分まで責めることまでしてしまっていました。それは
飽きて止めてしまう、ということに対してASDに対しての知識がなく、ネガティブな感情しかなかったからなのです
それが今となっては、息子が熱中することを一緒に楽しんでやってみたりもしています。そして
まあいつか飽きて止めるかな、それでもいいや
そう気楽に構えることも出来る様になりました。ASDには熱中する事と同時に、飽きて止める事を繰り返し、移り変わっていくことも大切なんだと学んだからだと思います。この移り変わりに周囲の理解があれば、ASDである自分自身を肯定出来る、または自信を持てる、という自己肯定感に繋がる積み重ねにもなっていくと思っています。
ASDが興味のあることに対して異常に熱中し、時には過集中となる程に取り組み始めた、と思えばしばらくしてあっさりとやめてしまった、そんな姿に周りは巻き込まれてしまうこともあるかもしれません。ただ、ASDに関して知ることさえすれば、逆に巻き込まれることはないのです。「そうなんだ、それがあなたで、そのことが必要なんだね。」そうやって受け入れることが出来るようになるからです。
熱中しては飽きる。その繰り返しの中に一生好きで続けられるもの、博士並みの知識を得られるもの、そして結果的に人の役に立てるようなお仕事に活かせるものが見つかったりします。得意を伸ばすために、必要な段階ということなのです。
誰であっても生まれ育った環境、出会ってきた人の影響、普通だと教えられた基準、このようなものがあって無意識的に、相手を自分の基準で見てしまうこともあります。ただ、そこにASDが関係していてその上、拗れが生じているとすれば、そのことの原因の一つには
ASDについてただ何も知らなかっただけ
ということもあります。知識をプラスして意識をほんの少し変えれば、あっさりと関係性が良くなる、相手を受け入れられる、ということがあるという事実をASDの方も、そして関係している人にも知っていて欲しいと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*わたしが書いている内容は、ASD当事者であるわたし自身の経験が基です。発達障害は一人一人、特性は同じではありません。ですので、全てのASDやADHDの方にそうだとは言い切れませんので、その部分はご了承下さいませ。
*画像はhttps://unsplash.com/を使用しています。
コメント